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御園生 誠
製品評価技術基盤機構
名誉顧問
東京大学名誉教授
日本化学会元会長

いま日本の大学に足りないこと

東京大学名誉教授
御園生 誠

 学生諸君に向け二つのことを述べます。いま、グローバルに競争できる知力、気力、人間力、社会力を備えた若い人材の不足が懸念されていますが、そのことに関係することです。成果をあげておられるヘテロ・リレーションの教育プログラムにも関わると思います。
1.言語と文化―国際化
 高校・大学の頃は、通訳とは単に言葉を置き換えるテクニックと思って軽んじていました。ところが、大学院を出てアメリカの西部と東部でそれぞれ約1年のポスドクを経験し、この思いがひっくり返りました。言語は文化なのです。文化を反映するというよりむしろ両者は一体のもので、文化を知らなければ通訳はできないのだと痛感しました。「義理」をFriendship、さらに禅の英語講演で「悟り」をEnlightenment, 「執着(Attachment)があるから煩悩(Suffering)が生れる」と訳され、それらを聞いても違和感を覚えなくなるまでには時間がかかりました。
 最近、世界の大学ランキングなるものが、真面目にあるいは興味本位で発表されますが、国際化の点では日本の大学は歯が立ちません。自然科学のいくつかの分野で日本の大学は世界的に一級の研究水準にあり、欧米から学生や研究者を集めていますが、全体として国際化が遅れているのは歴然としています。それなのに積極的に外国で武者修行しようとか競争しようとかの意気込みが近年減退気味と聞きますが、これは嘆かわしい限りです。人材以外に頼るものがない日本では、元気があって国際競争に勝つ気力のある若い人材こそが頼りです。
 私の専門は触媒化学ですが、第1回の日韓触媒セミナーが開催された四半世紀前は、韓国側の発表はもっぱら米国留学時の研究の紹介で、高い志が感じられたこと、英語の上手なことを除くと、日本よりだいぶ遅れていました。産業面ではさらに差があったと思います。ところが、最近では全く拮抗しています。ご存知のように、半導体や液晶テレビなどでは今や日本を凌駕するに至っていますが、これは志の高さと国際戦略のあるなしの違いがなせる業ではないでしょうか。日本も初心にかえって、高い志を持って競争力のある科学・技術を戦略的に創造しないとさらに遅れをとってしまいます。ぼんやりしている時ではありません。
2.理学と工学―ともに社会のための科学
 理学とは日本にだけある語のようですが、純粋科学(自然科学)とほぼ同義です。日本を含む東アジアでは、工学は技術を体系化・学問化したものを意味します(欧米ではEngineeringは熟練した技能(Skill)に近いようです)。理学と工学は、純粋科学と技術・工学と言ってもいいのですが、それぞれに長い歴史があります。これらは互いに関係があり、特に近代の技術・工学は近代科学を重要な基礎としていますが、両者は元来全く別もので、見る向きが違います。純粋科学は知的好奇心つまり個人から見ますが、技術・工学は社会の側から見ます。このことを忘れると話が混乱してしまいます。純粋科学の成果が技術に至る例もありますがそれは少数です(長い目で見ると重要なものがありますが意味が違います)。これが大部分だと思うのは理学系の人によく見られる誤解です。技術・工学は、初めに社会の中にニーズや課題があって、それらをいかに解決するか、そのためにどのようなモノやシステムを作るべきかを考え、それらを設計・製作して社会に提供することが主題です。その時に、純粋科学、技術、工学の成果をかき集めてインテグレートします。つまり課題解決型なのです。
 知的好奇心を駆動力とする純粋科学は文化です。社会にとってのその重要性は言うまでもないのですが、現今のように、地球温暖化対策、さらには国力の源泉としての技術力が問われる時代においては、技術、工学が関心事です。科学者も技術者も人類あるいは日本国の行方に関心を持ち、専門家の立場から積極的に適切な発言をすることが求められます。そうしないと、地球や日本の行方が危うくなります。科学や技術について巷で怪しげな論議が横行するのを糾していくことが一人一人の科学者・技術者に求められているのです。
このように、科学者・技術者は自らの専門を通して社会に貢献するだけでなく、それが本当に社会に貢献するのか、また、科学技術政策の全体が妥当か否かについて、大局的、総合的に判断し社会に発言することが必要です。そのためには、狭い学問分野にとどまるだけでなく、広い教養を培い正しい世界観、歴史観、倫理観を身につけることが不可欠です。どうか、若い時期にこの力を身につけ、正しい方向を見つけてほしいと切に希望いたします。

 日本全体に、世を想う高い志とそれを実現する強い気力が不足してはいないでしょうか。「夢を追うものはリアリストである。なぜなら夢は必ず実現するから。」とデザイナーのピエール・キャルダンは言ったそうです。この強い意思表示にはたじたじとしますが、正しい科学的世界観をもとに良い夢に向かって突き進むことは非常に大事なことです。