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園田 昇
大阪工研協会会長
大阪大学名誉教授
日本化学会元会長

理学系人材育成プログラムとその後への期待

大阪大学
名誉教授 園田 昇

 大阪府立大学理学系研究科における文部科学省の組織的な大学院教育改革プログラム「ヘテロリレーションによる理学系人材育成」が平成20年にスタートして、早くも2年半が経過し、3年間の最終期限に近づこうとしております。顧みますとかつての大阪府立大学総合科学部、先端科学研究所および大阪府立女子大学理学部の関係者が集まり、高い理想のもと個性のある先進的学部、大学院の創設を目指して努力を重ねられ、新構想のもと大阪府立大学理学部、理学系研究科を発足させたのが平成17年でありました。そしてスタートに際して掲げた理想の実現への大きな一歩を踏み出すべくこのプログラムが綿密に計画され、理学系研究科挙げての協力により極めて順調にスタートを切ることができたことはまことに時宜にかなうものであり、将来の理学部および理学系研究科の発展に大きな原動力となってゆくものと期待されます。本ニュースレターのNo.2に理学系研究科長前川寛和教授がこの教育改革プログラムの目指すところを説明され、さらにNo.3には本プログラムのプロジェクトリーダーを務めておられる柳日馨教授がヘテロリレーション、ヘテロ空間の意義を述べておられます。また同時に人材育成に関するプログラム作成における準備段階での数々の努力についても紹介しておられ、ご関係の先生方各位の多大のご尽力に対し深く敬意を表したいと思います。
 我が国の大学をはじめとする高等教育機関が人材育成について目標としているところは、殆どの場合において国際的に活躍し得る研究者・教育者の育成と高度の専門職業人の養成に重点が置かれています。また研究・教育の問題にとどまらず、日本社会のどの分野においても国際化への取り組みが幅広く課題として取り上げられ、常に更なる改善が求められています。ヨーロッパ諸国をはじめ、大陸のなかで国境を接している国々にあっては、人的交流や物流は歴史的にも自然な形で盛んに行なわれてきました。そのため「国際化」などのキャッチフレーズはあまり見かけません。一方、周りを海に囲まれた島国の日本では国の安寧を守るため、17世紀はじめより外国との往来、交渉を禁じたいわゆる鎖国政策が地の利を生かして19世紀半ばまで長期間にわたって採られ、そのため国民に閉鎖性が深く根付いているともいわれています。鎖国を解き開国して以来、戦乱の一時期を除いて絶えず「国際化」が叫ばれ続けてきました。そして21世紀に入りその重要性はますます大きくなってきております。上述のように理学系研究科の本プログラムは今年が最終年度でありますが、これで終了させるのでなく、国際化を念頭にさらに新しい形のプログラムを組み、継続して発展させてゆく必要のあることは言うまでもありません。最近、幸いにもその方向での前向きな情報に接することができたことはまことに喜ばしい限りです。
 ヘテロリレーション人材育成プログラムに基づいて指導を受けた学生が将来社会に出て、どのような研究者、教育者あるいは技術者として活躍しているかを追跡調査することは、プログラム実施結果の評価を正確に行なう上で大切であります。また多数の外国からの招聘教授による予習、復習に重点をおく欧米スタイルの厳しい授業、感受性豊な大学院学生の海外留学、国外からの留学生受け入れなど、へテロな環境下での人づくりをこれほど組織的かつ計画的に密度高く実施しているところは、殆ど例を見ません。それだけに本プログラムにより期待される若者の国際性と学習意欲の向上、知的好奇心や創造性の高揚、人間性豊な人格の形成など、その効果を多方面から観察・評価した上、成果を次代に発展的に繋いでゆく努力が極めて重要であります。
 理学系研究科の主眼点とも言えるいわゆる「未知への挑戦」を標榜する基礎科学と、「人類社会への貢献」を掲げる工学系の技術開発との間には、その目標とするところに多少のずれがありましょう。しかし自由な発想に基づく基礎研究の成果の中には、それを種とする新たな独創技術の芽を生むきっかけとなる場合が多々あります。したがって育成すべき人材に求められるところは、基礎の分野でも応用の分野でも殆ど変わるところがありません。また、研究で生まれた新しい芽が大きく成長する速さは、近年、目を見張るばかりに速く、産業の大きな発展に繋がることが多々あります。今後、基礎科学を志向する若い科学者の方々には分野を問わず、得た研究結果の中に社会のニーズに役立つ種や芽になる成果があるかどうかをよく検証され、またそれを読み取る力を身につけてゆかれることが特に必要であると考えています。
 終わりに改めて強調しておきたいことは、科学・技術を発展させる原動力はコンピューターでも機械でも物質でもなく、「人」と「人づくり」にあるということです。