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左右田 健次
京都大学名誉教授
日本生化学会元会頭

ヘテロ断想

京都大学名誉教授
左右田健次

 中国5千年の歴史の中で、戦国時代はひときわ面白い時代であったと思います。BC5世紀の春秋時代の終焉から、BC3世紀の秦の全国統一まで、7つの国々が覇を競い、中原や周辺全土が揺れ動きました。一方、鉄製農具の発達で農業は進み、鉄製の鋭利な兵器の登場で、貴族と従者だけの戦車中心の戦争から、庶民が兵となり鋭利な武器を持って戦う大規模な歩兵戦に変わりました。星を頂き畑に出て、日没して家に帰る生活をしていた庶民は戦争に狩り出されて、初めて広い世界を知り、異質な文物に接し、精神も大きな刺激を受けました。このような精神の社会的躍動の上に、諸子百家と呼ばれる思想家が次々と出て、新しい学説を打ち立て、いろいろな思想が展開したこの時代は中国思想の花の時代といえます。孔子の説いた「儒」も墨子によって、攻撃といっていいほどの激しい批判を受けました。孟子はその論難を糧として孔子の思想を敷衍し、新しい理念を打ち立てたのです。 孔子は国の上に天をおきましたが、孟子は民をおきました。「民を尊しとなし、国家(社稷」はこれに次ぎ、君主を軽しとなす」という彼の言葉は、古代ギリシャの思想家の言葉かと思うほどであり、新鮮です。しかし、社会が固定化され、強大な秦が全土を支配した次の時代には、国家的統一に成功しても、新しい思想が生まれませんでした。
 大阪府立大学が浪速大学として発足した1949年頃には、寄り合い所帯としての多くの問題を抱えていたでしょうが、一方では、既成の大学の持っていない幾つかの異質のエネルギーを内蔵していたのです。その中から「花の文化史」を書き、「照葉樹林帯」論を展開した中尾佐助や、文学の新しい局面と社会運動を興した開高健などユニークな人たちが輩出したといえます。ブータン農業の父といわれる西岡京治も大阪府大の混沌のエネルギーと無縁ではなかったと思います。ヘテロな要素は新しい機運や考えを生む重要な原動力の一つであります。しかし、ただ、ヘテロなものが雑居しているだけでは新しい力は生まれません。一種の発酵によって全体が掻き回され、渾然とした状態を醸成することが必要です。さらに、論語に「君子は和して同ぜず」とあるように、人々がそれぞれの主体性をもちつつ、互いに相手を尊重し合って、異質の個性の中に調和と協同を生むことが要求されます。
 理学系研究科の中で専門分野を異にする研究者や研究グループが、それぞれ専門の道を貫きつつ、他の分野の研究に強い関心を持ち、互いに会話をすることが、このプロジェクトの端緒です。そこから一歩進めば、研究の協同と相乗の効果が生まれてくるでしょう。幸い、学内には工学研究科や農学研究科などがあり、理学系研究科と共通性の高いいろいろな分野の研究や教育が行われています。この恵まれた環境を基盤にして、濃淡いずれであっても、多彩な協同が進むことが期待されます。協同研究を進めるに当たって、大切なことは、協同相手を利用しようということよりも、まずお互いに、こちらを利用して下さい、という気持ちをもつことではないでしょうか。それが結果的には、双方を利することにつながる協同研究の基本と思います。
 大阪府立大学の位置する関西地域には、旧国立大学でも、京都大学、大阪大学、神戸大学など幾つかの大学があり、公立大学、私立大学を入れると、大変多くの大学があります。これらはいずれも、関東地方における東京大学のように、一つ屹立した富士山型の大学でなく、北アルプスの山々のように、多くが互いに高さを競いあっているといえます。競争をし易いこの状況は、大阪府立大学に強い刺激を与え、これらの研究者たちと協同することを容易にしていると思います。 さらに、名古屋や岡山などにも短時間で往き来できることも、得難い立地条件です。ヘテロ・リレーションといっても、研究科内や学内にとどまらずに、これらの大学や海外の大学、研究所なども視野に入れることは大切です。堺の地に深く根差しつつ、世界を目指す眼と共に、戦後間もない時期に秘境ブータンに入って調査、研究をした中尾佐助らのパイオニア―精神を受け継ぐ大阪府立大学は将来、ノーベル賞につながる機運と実力をもつ大学の一つと思います。湯川秀樹先生がノーベル物理学賞を受賞された時代の京都大学よりも、遥かに恵まれた環境にあります。 今は、限られた二つ、三つの大学だけがノーベル賞などを取っていた時代ではなく、大阪や堺などにある大学や研究所が世界の脚光を浴び得る時代になっていると思います。
 大阪府には財政難を理由に、大阪府立大学を自然科学中心の組織に替えようとする動きがあると報じられています。政治の場からの意見も、研究教育の場からの考えも共に大切ですが、それぞれ、相手の立場と意見を尊重しあって、大学の将来像を描くことが肝要と思います。また、自然科学や技術に関する学生にこそ、文学や社会科学などの広い基礎知識が大切であります。理系の人間が、唯我独尊的に科学や技術を盲信しては困ります。かつて、東京工業大学において、小説家の伊藤整、文化人類学者の川喜多二郎、文芸評論家の江藤淳など、錚々たる人文系の学者が教養課程の教授として活躍し、学生や自然科学の研究者の知的好奇心を刺激し、視野を広げたたことがあります。たとえ、自然科学が主流になっても、人間性にかかわるヘテロな分野である文学や社会科学を尊重する大阪府立大学理学系研究科であってほしいと念じます。